いかさ田舎カレッジ講師紹介

いかさ田舎カレッジ塾長
尾野寛明(おの ひろあき)氏

 1982年生まれ
学生時代に起業を志し、2001年に東京都文京区でネット古書店を創業し、 2006年、本社をまるごと島根県邑智郡川本町に移転。書店跡地を利用し、ITを活用した商店街のまちおこしと障がい者雇用を目指す古本屋を経営している。
過疎を逆手にとって、倉庫代は東京の100分の1。15万冊以上の蔵書があります。
今でも東京と島根を1週間おきに行き来する「二地域居住」 の実践中。研究に片足を突っ込んでいた名残で、都市部の起業家を 島根へ呼び込む仕組み作りに駆け回っている。
・一橋大学大学院 商学研究科 博士課程修了
・一橋大学大学院商学研究科日本企業研究センター グローバルCOE・研究員(・2008~2010年)
・専修大学大学院 コミュニティビジネスアカデミー 非常勤講師(2009年)を経て現職 
・「日本を立て直す100人」(アエラ 2012年1月2・9日合併号)
・総務省・地域人材ネット 地域力創造のための外部専門家

有限会社エコカレッジ 代表取締役
NPO法人 てごねっと石見 副理事長
NPO法人 農家のこせがれネットワーク 理事

いかさ田舎カレッジ講師
赤澤雅弘(あかざわ まさひろ)氏
1957年生まれ
1980年岡山大学卒業後児島のジーンズメーカーの広報として活躍。その間コピーライターに憧れ、3年で退社し、独立してコピーライターを始める。仕事の傍ら、玉島のまちなみやまちづくりに興味を持ち、独自に町並みとそこに宿る人の暮らし特に「産業」に注目し、玉島のものづくりを生かした「産業観光」の基礎をつくり、玉島商工会議所と共に「玉島産業観光ツアー」を行う。かたくなに本物を求めるその手法は妥協をゆるさず、職人技といっても過言ではない。近年倉敷の美観地区を中心とする観光事業と肩をならべる「玉島・水島・児島」を舞台とした「赤澤プロデュースの産業観光ツアー」が脚光を浴びている。
井笠広域観光協会へも職員として2年従事し、各種ツアーを作り上げている。
・春一番いかさつまみ食いツアー(2011年3月)
・香さんファンクラブツアー
・冬のいかさつまみ食いツアー(2012年1月・2月)
・香サンファンクラブそば打ちツアー(2012年10月)
倉敷産業観光クリエーター

 

第1回ゲストスピーカー
    成瀬義彦(なるせ よしひこ)氏

高島へ移住して5年目。東京でIT関係のベンチャーを起業とこと働き詰め、岡山へ。趣味のパラグラーダーを通じて笠岡に縁が出来、知らずしらすのうちに高島へ。当初システムエンジニアとして島でやっていく予定だったが、リーマンショック以降仕事が激減し、島で生活の糧を自活するには「漁師」しかないと本格的に漁師になる。今ではほとんどがSEの収入であたが、平成25年は何とか漁師で食べることができるようになったとのこと。地域に合った生き方を追求するこだわりが新しい地域の可能性を引き出している。

第2回メイン講師

 矢掛中学校教諭(やかげ学・ESD教育)
    室貴由輝(むろ たかゆき)氏

昨年まで矢掛高校で「やかげ学」という、持続可能な地域づくりのためのプログラムを実践された、「ESD教育」の第1人者です。
やかげ学http://berd.benesse.jp/berd/center/open/kou/view21/2011/12/pdf/03shido_03.pdf
  

第2回ゲストスピーカー
    山の上干柿生産組合

  組合長 土井良雄(どい よしお)氏

干し柿という地域の資源を活かした地域づくりに取り組んでおり、今では海外へ輸出をするまでになっています。
山ノ上干柿生産組合http://blog.livedoor.jp/ikashitakankou-ikashitakankou/archives/cat_50047751.html
(赤澤 副塾長のブログから。下の方にスクロールしていくと出てきます。)

第3回メイン講師

    アンテナカフェハレの日

  オーナー 和田裕子(わだ ゆうこ)氏

公務員から転身、アンテナカフェハレの日を経営しながら、地元食材の情報発信に挑戦する。

http://genki.sanin-navi.jp/5095.html

 

 

第3回 ゲストスピーカー
    大谷地区元気いっぱいまちづくり協議会

  会長 西 規雄(にし のりお)氏

 

第4回 ゲストスピーカー
    パン屋タルマーリー オーナー

  渡邊 格(わたなべ いたる)氏
 1971年生まれ。東京都東大和市出身。
高校卒業後の暗いプータロー青春時代にピリオドを打とうと、23歳のとき学者の父とともにハンガリーに1年間滞在。
 現地で活躍する同世代の日本人を見て凹む一方、「食」や「農」に興味を持ち、帰国して千葉大学・園芸学部園芸経済学科に入学。
卒業後有機野菜の卸販売会社に就職し、31歳でパンの道を志す。
 パン屋のブラックな裏側に衝撃を受けるも修業に耐え、2008年に独立して、千葉県いすみ市で妻のマリとふたり、「パン屋タルマーリー」を開業。
 2011年3月11日東日本大震災と福島第一原発事故ののち、「菌」の声を聴き「水」を求めて岡山県真庭市勝山に移り住み、2012年2月に店を再オープン。
 「菌」にとことんこだわる「菌本位制」を掲げ、地域の経済循環を生み出す「地域通貨」のようなパンづくりに挑む。
 長女モコ8歳、長男ヒカル4歳の4人暮らし。
  ※2013.10.21 「グリーンズ・パン屋タルマーリ対談」登壇者プロフィールより抜粋